原爆ドーム

広島出張のついでに初めて原爆ドームを訪れました。朝の8時頃でしょうか、既に降るような蝉しぐれという状態でした。大きな楠にかこまれてドームはひっそりとそこにありました。木々が本当に大きいのに驚きました。もう63年も経っているのだから当りまえかと思ったり、どこかで育ったものを植樹しているかもしれないなどと思ったりもしました。生い茂る木の生命力と、子孫を残したら短い夏を最後に死んで行く蝉の命の声が瓦礫と化した廃墟を包んでいるかのようでした。あの日も暑い日で降るような蝉の声が聞こえていたのでしょう。



何もない廃墟を想像していた私にとってドームをおおう樹木は意外でした。しかし、木のあふれる生命力が廃墟の悲しさ・虚しさをきわだたせてているのだなと思っていると、その日の中国新聞に「被爆アオギリ2世 ドミニカに根付く心」というのが目をひいた。被爆アオギリというのは

1945(昭和20)年8月6日に広島に原爆が投下され、「広島には75年間草木も生えないだろう」といわれていた。そんな中、爆心地から約1300mのところにある広島市基町(現:中区東白島町)の広島逓信局(現:日本郵政公社中国支社)の中庭の被爆し、爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられたアオギリ(青桐=Firmiana platanifolia Schott. et Endlは、翌1946年の春に芽吹いた。原爆の悲劇にも負けずに、たくましく育ったアオギリは、当時絶望の中にいた人々に生きる希望を与え、現在もその傷跡を包むようにして成長を続けている。

さらに、そのアオギリの苗木が被爆アオギリ二世とよばれ、平和への祈りのためにドミニカや世界各国、日本各地に配られ植樹されている。ドミニカでは21本が無事育っているのが確認されているのだそうだ。私は今、自分の地元で、違法砂利採取でほとんどの表層土を失い、産廃処理上にされてしまいそうになった土地を森に戻そうとしている。この土地は、表土を全てはがれてしまったので、植物を育てる養分が全然ない。腐葉土を運び込んで苗木を植え、森に戻そうとしているが、本当にできるのかどうかは誰もわからない。アオギリのエピソードを読んで一番最初に思ったのは、アオギリがあの土地にふさわしいということだった。2万平米ある土地に、今1000本以上の苗木を植えた。裸の荒れ地を半分くらいどうにかしたと思うのだが、次の半分のスタートにはアオギリがふさわしい。

 次の週に、ハプニングという映画をたまたま観にいった。アメリカNYのセントラルパークで事件は始まる。人が次々に死んで行くのだ。まるで、自殺を望むかのように、建設中の作業員は足場から飛び降り、警官は自分の銃を自らに向け、自動車を運転中の者は車を何かにぶつけていく。植物が自分の生存を脅かす動物や昆虫に対して毒素を出して自分を守るような進化をすることがあるのだそうだが、人類という種に対して、危機を感じた植物が人類撲滅に向けて進化して何かを放っているのを思わせるストーリーだった。これだったら、さしずめアオギリがこの企ての最先鋒だろうなと思う。その進化のきっかけを与えたのは放射能をあびたことであり、平和の祈りの象徴でなく、復讐の鬼と化したアオギリみたいな話を連想した。
 
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