「怒りの核ミサイル」の読み方

 前回、水戸黄門の精神構造で日本の官に期待する心(為政者に期待する心?)を書いてみたが、アメリカの映画や小説の中では、権力者の権力濫用をいかに止めるかがメインのテーマになったり、メインにならないまでもストーリーの重要な一部になっていたりする。最近、小生が読んだ「怒りの核ミサイル」でもメインテーマを構成する大きな部分になっている。話は、ソビエト崩壊直前のスパイもので、KGBがしかけた罠を、CIAの活躍でかわすはなしである。その罠とは、電磁波でアメリカ大統領の脳を狂わせるというものであり、大統領が命令した核ミサイルの発射をいかにストップできるかという筋立てである。ソビエト崩壊前とは、随分古い話を持ち出してきたなと言われるかもしれないが、権力濫用の話としてみれば、相変わらず新鮮だと思うので書いてみることにする。

 筋立ては、三本の糸で構成されて行く。
1) ペレストロイカによる言論自由化とアフガニスタンの敗北により、ソビエト連邦内のイスラム系民族運動が連邦からの独立を目指して燃え上がりテロが頻発する。このままでは、ソビエトが瓦解してしまうというのがKGB議長の心配である。
2) 脳のメカニズムで、電磁波が果たす役割の解明が進んできている。例えば感情の湧出というプロセスは、外界の事象に反応して脳が何らかの判断をくだすーーその判断は怒りであるーー怒りに固有の型をもった電磁波が出るーー怒りという感情がおこるというプロセスであるという。この技術の応用として、電磁波により人間の脳に感情という反応をおこさせる装置がKGBにより開発される。(感情を繰る装置という意味で古くからのKGBの研究テーマだった。)光線銃のように相手の脳に電磁波をあてて反応を引き出すという仕組みである。一見荒唐無稽でも、技術的には可能らしく、著者の説明を読まれたい。
3) アメリカ大統領は、脳腫瘍ではないかという自覚症状があったため検査を受けることにするが、その際に磁気脳造影機という電磁波による脳のスキャンを行なう。(後でこのデータが病院からKGBにより盗み出され2)に使われることになる。)
この条件下で、KGB議長が捻り出したアイデアは、イスラム過激派を装ってアメリカ軍の関連施設にテロをかける。一方、3)で手に入れたデータを使い電磁波により大統領の感情に働きかけ、過剰報復を引き出す。イスラム教徒は、アメリカを敵として、ソ連邦側にまとまるという罠である。

 さて、ここでは、この罠の科学的根拠や、政治的実現性などよりも注目してもらいたい部分がある。この仕掛けに嵌った大統領は、テロリスト訓練所があると目される場所をめがけて、ペルシア湾近くに配備されている空母から核ミサイル(放射線量を調整できる)を発射するよう命ずる。これを止めることが、アメリカという仕組みにできるかというのが、面白いところである。狂った暴君、暴走する権力者を制止できるのかというテーマである。それを止めるのは、日本的な義民や諌死等という超法規の話ではない。あくまでも現在のアメリカの政治の仕組みと法制度の中でなにができるのかしつこく検討されている。以下は、この本から、要約したり、抜粋したものに小生の解釈を加えたものであり、法制度について独自の検証・検討は行なってはいない。

1)  アメリカ大統領は、物事を決めるのに裁決をとる必要がない。彼が決めたら、それで決まりである。閣僚は彼が選んだ人たちであり、彼は罷免権を持っている。何人かの閣僚(主席補佐官、法務長官)は、大統領命令に賛成する人達として描かれているが、それは、彼等が大統領の寵を争っている関係にあるからでもあり、大統領に従うことが正しい通常の関係でもあるからである。
2)  この命令に反対の人達は、大統領命令の違法性をなんとか指摘し止めようとする。国務長官が、どうしても核ミサイルを発射するなら、それは戦争行為であるから宣戦布告をすべきであり、議会に諮らなければならないという。大統領の反論は、「私は戦争を始めようとしているのじゃない。軍隊を動員しようとしているんじゃない。.....これは世界をテロから救う為の防衛的行為だ。」そして、核の使用権限は、原子エネルギー法に定められていて、議会にでなく大統領に有り、「私の権限だ」なのである。
3)  核の使用権限が大統領に一任されていることについても議論される。「その法律の立案者の意図は、ソヴィエトのミサイルが既にわが国に向かって飛んできつつある場合に、迅速な行動を可能にさせることにあった。このような状況には何の関係もない」と国防長官が立法の意図からくずそうとするが、司法長官が「法律の意図ではなく、そこに書かれていることに従います」と流してしまう。
4)  「それは国家統率権と呼ばれている。核兵器使用の命令は、大統領から出て、私を通り、それを使用する司令官に伝えられる。そして無謀かつ不当な核兵器の使用命令は、この私のところでくいとめられるのだ」と国防長官が踏ん張るが、「私がきみを雇ったんだ。そしてわたしはきみをクビにすることができる」とやられてしまう。ここまでの議論で、ミサイルの発射を強行するなら、統合参謀本部議長の私をぬきにおやりくださいという決別の捨て台詞しかない状態となった。
5)  業を煮やした大統領は、空母の艦長にアメリカ軍最高司令官として直接ミサイル発射を命令する。ここでは、正当な命令者(つまり大統領)であることの確認が暗号を伝えることでなされる。ミサイルの安全装置が解除され発射されるには、さらに艦長がその手続きを取れる人間であることが確認され、毎日変更されている権能付与コードが与えられる必要がある。しかし、それはこの空母の艦長に与えられている本人確認にすぎない。正しい命令者(大統領)が命令し、正しい実行者(艦長)が手続きをとることでミサイルは飛んで行く。本来、大統領が命令し、国防長官から軍の組織を経由という指揮系統で伝えられていれば、この権能付与コードも同時に艦長に与えられているものなのであるが、大統領が直接命令を伝えたためこれが忘れられたかっこうになったという前提なのである。艦長は、しかるべき命令者から命令を受けているのだから権能付与コードを軍の指揮系統を遡る形で要求する。コードを与える承認を求めて命令系統を遡っていくプロセスで、介在する人達が上に聞いてみるという形で少しずつサボタージュし時間稼ぎをするが、正規の手続きで止められるひとは誰もいないのだから、ミサイルの発射は時間の問題となった。
6)  そこで、国家安全保障担当補佐官が憲法修正第25条 「副大統領、行政各省、または議会が法により規定したほかの機関の主要職員の過半数が、上院議長代行、および下院議長に、大統領がその職に伴う権限及び責務を果たす能力を持たないと書面により宣告した際には、副大統領はただちに現大統領の権限および責務を引き継ぐものとする」により、大統領の解任を提案する。これに対する反論は、主席補佐官から「きみは正当な選挙によってえらばれた合衆国大統領に対して、クーデターを起こすようわれわれに求めているんだぞ」であり、法務長官の立法の意図は、卒中によって無力になったウッドロー・ウィルソンのような大統領のケースに対処することを目的にしているものであり、このケースにはあたらない等である。この修正25条は映画「エアフォース・ワン」にも登場した。大統領専用機エアフォース・ワンがハイジャックされ、大統領とその家族が人質となり、監獄からテロリストの開放を要求される。ホワイトハウスで閣僚達が署名を集め、副大統領にも決心をせまる場面が有る。人質となった家族の生命を気遣う立場になった大統領は、大統領の責務を果たす能力を欠いているという理屈になるのだろう。このケースでは、副大統領が自分が取って代わる決断をできなかったが、ハリソン・フォード扮する大統領が自分でハイジャック犯をやっつけてめでたしめでたしになってしまった。
7)  さらに議論はめぐる。「大統領のあの命令のいったいどこが違法なんだね? どこも違法ではない。悪い命令かもしれない。話にならないほど愚かな命令でさえあるかもしれない。それでもあれは合法的な命令なんだ。この修正箇条は、気にくわない命令を出したからと言って現職の大統領を解任する権限をきみにあたえていない」 確かに卒中で倒れているのなら、外見で責任を果たす能力がないと判断できるだろう。しかし、ピンピンして怒り狂っている大統領であればなんとも判定できないだろう。げんに大統領の意見に賛成している閣僚がいるくらいだから、外見による判定ができなければ、それは意見の違いということになってしまうだろう。すると、「問題は大統領の精神状態や職務遂行能力ではない。彼の判断だ。憲法は大統領の重大なる判断の間違いに対する救済の方法をさだめている。−−弾劾だ」という議論が出てくるが、 「弾劾までこぎつけたときには、われわれは四万人の人々を焼き殺し、大統領と、彼の政権と、二世紀のアメリカの歴史を、破壊しているでしょう」と方法論としては正しくても時間的に全く論外の話になってしまう。
8)  また、「大統領は、狂っているのは君達だというだろうな。電話で下院議長に、ここにクーデターを企てている連中がいると伝えるだろうな。どうやってそれを防げるんだ。大統領を押入れにでもとじこめるのか?」という反論も現実的だ。大統領に先手を打たれて、大統領に反逆した閣僚ということで、軍に捕らえさせクーデターの汚名をきせられることも十分考えられる。

 

副大統領をまじえて侃侃諤諤やっているうちに、CIAのヒーローがKGBのカラクリをあばきだして知らせたので、副大統領が意を決して大統領命令を取り消してハッピーエンドとなる。しかし、このヒーローがKGBの陰謀を見つけ出して証拠を見せ付けなかったら、副大統領は決断できていなかったかもしれない。あるいは、副大統領が決断できたとしても、大統領の巻き返しにあって、クーデターとして修正第25条派の方が潰されてしまうかもしれない。ひとたび歯車が狂えば、良かれと思って作ったどんな仕組みもまずい方向に動いていってしまうものだという恐怖が読者の心に残る。この決断のチェーンに入った誰かが、大統領の言っていることだからもういいやと思ってしまえば、核ミサイルが発射されているんだという怖さが心に残る。そこには、権力は腐敗し濫用されるもので(この場合は敵陣営スパイによって引き起こされた濫用であるが)、常に監視しなくてはいけないし、それを発見した場合には身をもって止めるだけの勇気と行動力が必要だというメッセージが常に流れている。そして、賛成派であれ反対派であれ、民主主義という精神と政治制度に基づいて事を決めようと争っているところが面白い。それが、いざと言うときの事を考えるシュミレーションになって、娯楽であると共に教育・啓蒙になっていると思う。

 それにしてもである。@大統領が死亡したら、その権限は副大統領が引き継ぐことになっている。A卒中のように無力化した場合でも副大統領が引き継ぐことになっている。Bここで議論しているのは、見かけは元気だが、マインドコントロールを受けたり、狂ったりして脳の中がおかしいケースである。先般、小淵首相が急逝した時に、日本は@もAも決まっていないという制度上の不備を露呈してしまった。ましてやBなど考えるべくもないだろう。しかし、例えばクーデターが起きる際に最初に狙われるのは首相であろう。それが死んだり幽閉されたりした時に、クーデターと戦う側のリーダーが誰か決まっていない。密室会議を開かなければ決められない。これでシビリアンコントロールは大丈夫といえるのだろうか?国としてのリスク管理はできてるといえるのだろうか?それとも、日本では殆どのケースはBばかりで、頭の中身を疑うような場合ばかりということだろうか?それを見越した庶民は、皆あきらめの境地で全能の水戸黄門がいつか現れると待望しているとでもいうのだろうか?


参考
「怒りの核ミサイル」   著者 ラリー・コリンズ  ハヤカワ文庫

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