道路というインフラと合意形成について

 

道路公団民営化という時に散々問題になったのだが、無駄な高速道路が作られているということがある。今またサブプライム・ローン問題に始まった不況に対応するための景気対策としてかなりの高速道路工事が再開されることになった。もちろん無駄なものなら作らないほうがいいに決まっている。無駄かどうかは、誰がどうやって決めるのだろうか? これをどうやって決めるかという問題こそが一番重要で大きな問題だと思う。

 

今までも、必要だという人がいるから作ってきたのだ。分権化して地方が地方のことを決定すればよいのだろうか? たぶん、そうもいくまい。道路を造るのも、鉄道を作るのも、ダムを造るのもほとんどの公共事業が各地方への利益誘導として行われてきたからである。総理大臣の出ている県の道路事情が他の県に比べてはるかに良いとか、自分の地元に新幹線の止まる駅を作らせることが政治家の実力のバロメーターだといわれた事情はあまり変わっていないのではないだろうか?

 

そもそも道路というものは、市町村をまたがり、県をまたがり繋がっていることに意味がある。道路はネットワークなのだ。東国原知事がいくらがんばっても宮崎県側だけで道路を造ったら意味がない。国という単位でものを考えて作るほうがよいインフラと地域という単位で作ったほうがよいインフラがあるのだと思う。少なくとも鉄道や道路というものは国という単位で考えるものであろう。ちなみに、米国では高速道路もただである。(皮肉なことにFree Wayと呼ばれるが、これはsignal freeということであろう。最初からタダだから無料ということを言うまでもない)あの大きな国土を縦横に走る道路で道路利用者から金をゼンゼン取っていないということは税金でまかなっているのである。私は単純に税方式が良いと言っているのではない。しかし、日本がアメリカ並みに豊かであったなら、アメリカの真似をして税方式にして無料にしていたことだろうと思う。日本は金がなかったから有料でスタートせざるをえなかったのだ。少なくとも1000円にする、800円にするという議論の前に、そういう選択もあることを頭において考えなければいけないだろう。逆に、高速料金をゼロにするとしたら、他の公共交通機関、バスや鉄道が大きく影響される事を考えねばならない。潰れる路線も出てくる可能性があるし、一度つぶしてしまったら二度と復活できないであろう。ロサンゼルスの街中に、昔のレールが撤去もされずに残っている箇所があるのを思い出す。道路を考える時には、代替する交通網全体として考慮する必要がある。

 

小さな単位での地元利益の誘導など邪魔なだけである。国全体に物資がゆきわたるための血管が道路なのである。そこで大事なことは、一定以上のスピードで走れない道路は価値が低いということである。日本の道路と比べ米国の道路を走った経験から言えるのは、道路が広くて真っ直ぐだとスピード感がずいぶんちがう。スピードをあげても怖くないのである。逆に日本の道路は曲がりくねっていて、かつ道路幅が足りない。広さの問題は非常に大きい、古い商店街の道路などは路肩らしいものもほとんど無く、荷降ろしをしていると通れなくなるほど細いところが多い。荷降ろしは生活物質を届けるために必要な行為で、血管から酸素や栄養を受け取る部分にあたる。これを行うために通行車両のスピードがガクンと落ちるのを見ていると道路をふさぐ血栓のように思えて仕方がない。道路は行楽のための人を運ぶのみではない。物資をすみずみまで行き渡らせるための産業や生活の基盤なのである。同じ距離を届けて、1時間で済むのと2時間かかるのとでは競争力も違ってくる。また、狭い道路は、事故や震災時にたちまち止まってしまい困ることになる。このような時のバックアップということも考えて、せめて往復2車線は必要である。アメリカのように国土が広く人口が少なく、国家づくりの時にゼロから計画できた国と比べてただ嘆いてもしかたがない。それにしても、インフラ作りの際の企画・調整が下手で、国全体の効率性、生産性が落ちているように思える。これは国際競争力の差ともなってくる。

 

同様のことは環状道路についても言える。東京周辺は放射状に延びる道路が多く、これを結びつける環状道路がない。おかげで都心を通過しなくてもよい車が都心に入る状態が続いており、これが交通混雑を招くのと二酸化炭素排出量も増やしているといわれている。ところが、外環道も圏央道もいつまでたっても完成しない。土地収用さえ終わっていない場所がいくらでもあるのだ。

 

そもそも、もっと良いネットワーク作りはできないのだろうか?ここで言っているネットワークとは交通網を意味している。道路・鉄道・空路・航路である。よく建設コストばかりを問題にしているが、それ以上に問題なのは建設工事がスタートする前のコストではないのだろうか?コストが高すぎるのは、工事費もさることながら、土地代であったり、計画地を買い上げるのに時間がかかったりによる金利コストや経費が本当に大きいのではないだろうか。道路や鉄道が計画されて土地買取りに時間と金がかかりすぎるのである。日本人全体が土地値上がり益を期待しての行動パターンに慣れすぎてしまっているのである。ゴネていればそのうちもっと大きな利益をもたらすという期待が形成されてしまっているのである。だから、農業をやらない農業者が増え続け、農地だということにして土地を持ち続け、そのうち道路、鉄道、宅地開発、リゾート開発などにひっかかれば莫大な利益を生むという期待の元に株式会社などの新たな参入者にも大規模農業を試みる他の農業者にも土地を貸すことさえしないといわれている。その結果が埼玉県にも相当するという放棄地であるし、現在農業者と呼ばれている人の3分のは自家消費程度の作物しか作っていないという状況にあるという。(農業が日本を救う 財部誠一 PHP)また、農地からの転用という農地法に起因する問題に限らず、ゴネていればより高値で購入してもらえるということ自体も構造的問題である。私の米国での経験では、公共施設が誘致されることによる土地の値上がり益は認められないそうであり、公共施設が作られる前の市価で譲れというのが原則だそうである。また、公共目的で土地収用を決めたら、ほぼそれに逆らっても裁判では勝てないと教わった。どうも成田闘争以来、土地収用を行う側にもビビリかあきらめか分からないが、時間がかかるなど当然、金がかかるのも当然といった雰囲気があるのではないだろうか? 国民レベルの合意をどうやって形成し、一度決定をみたら無法な占有・占拠を許さないようにしなければならない。それを単純な強権の発動でなく、社会の共通利益として必要だということを説得し、合意できるようにしなければならない。また、代わりの住宅地や農地が得られるようにしなければならない。このルールづくりを主導し、本当の合意形成をつくりだす人こそ、今求められている本当の政治家なのだ。もしも国会議員が地元の利益誘導しか考えられないのであれば、選挙区など無しにして全国単一区のみでも良いくらいである。日本など、そう広いわけではない。

(2009年9月金井 )
注. 原稿をあげないうちに、民主党が政権をとったので、高速道路料金=ゼロという話が珍しくもなくなってしまった。


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