自由研究という課題

 

 もうすぐ子供は春休み。休みになると、日本の小、中学校では自由研究という名前で科学実験レポートの課題がある。これを子供の尻をたたいてまとめさせるのはたいへんで親にとって頭が痛い。米国でもscience fair project という名前で同様のレポート課題がある。学校の中で、よくできたものが選ばれて地域のscience fair competitionに出されるところもそっくりである。(これはカリフォルニア州ロサンゼルスの経験であり、単純に米国全体に一般化すると危険であることはご承知願いたい.)しかし、その方法論にちょっと違いがあるように思うので書いてみたい。

 

 第一にプレゼンテーションが大きな基本となっていること。別紙に見るように発表の仕様がしっかりと決められている。幅60cm、高さ54cm、奥行き45cm程度のプレゼンテーション・ボードを作ることを求められる。このボードに結果をまとめるとともに、なるべくグラフや写真を使い目をひくように工夫し、前に自分の作った実験器具やら実験装置を展示する。この要項書きを読むと、プロフェッショナルな出来映えを要求し、タイプやワープロを使うことを奨励している。(アメリカでは、正式文書はタイプしてあるものだから、昔からタイプは必修技術であり、レポート類はタイプして出すものだった。秘書などの就職の条件には一分間に何文字打てるかが条件になっている。タイプを打つ文化が前提にあって、米国のパソコンの普及が早かったのである。)小学校3年生の時からこのscience fair project の提出が求められたが、子供だけでは無理だから小生なども何をやらせるか考えるところからはじまってワープロの仕上げまで苦労したものである。夏休み明けのクラス参観などに行くと、教室にはプレゼンテーション・ボードが所狭しと並び、なかなかの出来映えのものがずらり並んでいた。

 

 更に、クラスの皆の前で2分間あたえられてプレゼンテーションすることが必須事項として入っている。ネイティブでない子供にとって、クラスの皆の前でこれを説明する要求はもっとたいへんで台詞を書いたメモ書きまで作って練習させたものである。(成果は知れたものではあろうが)それにしても、これをやっていて思うのは、アメリカ人は幼い時からプレゼンの訓練を受けて育ってきているんだなということである。こういう訓練があって、ディズニーランドやらユニバーサルスタジオみたいな仕掛けがでてくる土壌ができているんだなと思うし、アメリカ人というのは根っからプレゼンやマーケティングが得意なのも無理はないと思う次第である。

 

 もう一つ、私にとって驚きだったのは、このプレゼン・ボードで求められている内容・構成である。次のような6つ部分から構成するようプレゼンの方法が決められている。(少々細かくて見にくいかもしれませんが、再度プレゼン・ボードの仕様を確認ください)

  1. Purpose・・・・・・・・・・…目的、どんな事を調べようとしているか
  2. Material・・・・・・・・・・・・材料、この実験に必要な材料や道具
  3. Procedure・・…・・・・・・・実験過程、実験のプロセスを記述
  4. Hypothesis・・・・・・・・・・仮説、実験で検証しようとしている仮説
  5. Results・・・・・・・・・・・…実験結果、実験の結果を表やグラフにまとめる
  6. Conclusion・・・・・・・・…結論、自分の仮説は検証されたのか否か

この形式に従って小学校3年生がプレゼンテーションを求められるときいてびっくりしませんか?実験の例として挙げられているものをみると、どの色が一番よく熱を吸収するか?どうやって飛行機は動くのか?プールにカバーをかけることによってどれだけ水道代金を節約できるか?どの洗剤が最も良く汚れを落とすか?磁石が引き寄せることができる物質はなにか?等々である。求めている中味そのものは、それほど高度なものではないようなのだが、この形にまとめる事が私にはいかにも高度なことに思えた。特に仮説を検証するという考え方を小学校3年生に求めてわかるのか?自分は仮説などという概念は学校教育の随分後の方になってから教わったような気がする。実際、子供の指導をやってみて、私にとっては大変なことに思えた。例えば、私が昔小学生の頃作った幻灯器を楽しいだろうと思って子供にも作らせた。あちらにもscience fair projectのための参考図書がたくさんあり、実験例が載っていて、幻灯器もその中に含まれている。しかし、仮説の検証という観点からみたら何を仮説とすべきなのか?焦点距離と実像の関係をどの範囲で像を結ぶとやるのだろうか?小学校3年生という年齢の中で素直に出てくる問題設定と仮説・検証という形を作るのが難しいのだ。確かに自分が幻灯器を作った時には、ただ何か参考書に載っていた図面どおりにそれを作っただけだし、それ以上のことも期待されていなかった。仮設やら検証やらと言われた覚えはない。

 

 このような形式に基づく思考を幼い頃から求めることによりどれだけ成功を収めているのかはわからない。しかし、求められなければ、決してそのように考えようとはしないものである。親もまた、求められるからこそ仮説の検証という思考プロセス、概念を使って教えようとするわけである。アメリカでも日本でも、親子の共同作業であり、親が子に直接ものを教える場でもある。この思考プロセスの訓練もプレゼンテーションの訓練と同様にアメリカの文化・土壌となっていることは間違いないのだろう。
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