自治について
選挙ともなると、地方自治という言葉が語られ、地方が国にその財政的基盤を抑えられている状態から脱することが語られる。しかし、財政構造さえ変えれば地方自治が育っていくのだろうか?どうも、そうではないように思える。モデルとして取り上げられたりすることが多いアメリカの州についていえば、精神や成り立ちといったもっと深いところから違っているように思える。
アメリカの自動車免許は州毎の免許であり、別の州に住居を変えた場合には新たにその州の免許を取りなおさなければならない。もちろん、旅行者は手持ちの免許でOKだし、移住者が取り直すと言っても筆記試験を受けるだけだし、筆記試験は簡単であるからどうということはない。だが、筆記試験を受けねばならないところが味噌である。各州の交通法規がありルールが違うから受け直す必要性があるというのが建前である。筆者の感じでいえば、州毎の交通ルールなど殆ど同じなのだから調整して統一してしまえば随分便利になるのになあといったところである。しかし、そう思ってしまうところが日本の常識にとらわれているからである。
実は、各州が州毎に法律を持っているで、交通法規はその一部として決められたものなのなのだ。だから、弁護士資格も公認会計士資格も州単位の資格であり、――州弁護士、――州会計士なのである。どんな契約書でも必ずどこの州の法律に基づくのか、そして争い事があればどこの州での裁判になるのか書いてある。カリフォルニアに本拠を置く会社が、オレゴン州の会社と契約を行なう時には、自分の顧問弁護士であるカリフォルニア州弁護士に加え、オレゴン州の弁護士も雇って条文の検討を行なってもらう必要がある。顧問弁護士が多州間にまたがる大きな法律事務所であっても、同じ事務所のオレゴン州弁護士を手配するということになり、実質は同じことである。会計分野でも、税法は州毎に違うから、やはり新たな州で工場を建設したり新しくオペレーションをはじめるとなれば、その州の会計士のお世話にならなければならない。
この観点から見れば各州は元々国だったのであり、今もその感覚が色濃く残っているのである。私が知っている限り、どの州もワシントンにある国会議事堂にそっくりの形をした州議事堂をもっている。州警察も州兵も存在するのである。FBIの名前は有名であるが、元々州をまたがる犯罪、犯罪者を追うための組織であり、創設時の感覚からすれば、いまのインターポールであろう。アメリカ合衆国というのは、UNITED STATES OF AMERICAでむしろ合州国と書くほうが体をよく表しているかもしれない。独立した国である州が集まって、自発的、意図的に作った国であり、州という単位では完結しにくい外交や軍事など一部の機能を連邦に預けてはいるが、他の機能は持ち続けているのである。これに比べ、徳川時代の藩は独立した統治機能を持っていて、殆ど今の国に相当するが、明治維新で薩摩・長州藩を中心とする明治政府に解体された。その後に作られた県というのは、単なる行政の地域割りの単位であり、明治政府の政治方針をいきわたらせる機構として作られたものであって、独立した国という気配は薬にしたくともない。戦後の県も同様に独立の歴史も伝統もないから、その精神も気配も感じられないのである。
付け加えれば、アメリカでは州だけでなく、市町村郡単位の自治感覚ももっと生きている。トヨタ自動車が進出したケンタッキー州のジョージタウンという町では、未だに禁酒法が生きていて、全くアルコールが飲めない。隣のレキシントン市では、日曜日だけであるがアルコールが飲めない。飲めないということは、公の場では一切アルコールを口にできないし、酒屋で売ることができないということである。もちろん、近隣の飲酒を禁じていない地域に行けば大っぴらに飲めるのだ。たぶん、この地区はバプティスト多いため、こんな風になっている原因なのであろう。宗教や思想心情を同じくする人が、集まって一定地域に入植した。他の村から離れ、同一宗教の人間の比率が高いほど、その宗教の教義による純粋な運営がなされることになったと思われる。一宗教が完全に取り仕切る状況でないにしても、開拓時代の小さな村は、教会、裁判所、警察、消防署等を持ち、自分らの村のルールを自分で決めていたのである。その頃の雰囲気が、そこここになんとなく感じられるのである。
自治を考える時、いつも考えるべき原点というのは、「何人かの人間が住みついた共同体があります。この人達が話し合ってこの共同体のルールを決めました。お金を出し合って教会をつくりました。裁判所を作りました。ルールの見直しや細部の規定は、住民の代表による合議制とした。…………」という国造り、あるいは共同体の創世時に立ち返って見るということであろう。地方自治というのは、小さなエリアの方がそういったまとまりが、自然発生的に期待し易いということだけであって、地方だから自治があるわけではない。だいたい、日本が民主主義の国であるなら日本というレベルでも自治という概念は成立していなければならない。この国のルールを決めたのは我々国民であり、今もそのルールを修正したり、新しいルールを追加したりしながら運営しているのである。