レンタカー立ち往生の記

 

2009年の7月、フランスに行き、レンタカーをしてパリから北西部を回った。これはその時の失敗談である。

レンタカーはHertzのプジョー308。コンパクトというより、ミッドサイズに近いゆったりした車であった。操作性も良く、昼間にトンネルへ入ればヘッドライトが自動的に点灯し、雨が降り出せば一度スイッチを入れると後は雨の強さに合わせてワイパーが自動的に速くなったり遅くなったりする優れものであった。(蛇足だがギアポジションにPはなく、エンジンを始動するときはNで行い、その間ブレーキペダルを踏みながらでなければエンジンがかからない。ギアは奥がR、真ん中がNで、手前がDと言うユニークな配置。後述するルノーは全くアメリカ式だった)。

高級車の趣すらあるプジョーで気持ちよく運転を続けた。ディナンからトゥールへ向かっている時、燃料計が1/4を切ったので、高速道路のサービスエリアでTOTALという地元チェーンらしいガソリンスタンド(+コンビニ)に入り、ガソリンを入れた。その際、ガソリン注油口の蓋を開けると、蓋裏に「DIESEL OU GASOIL」の表記があったのを見たのだが、最近はアルコール入りのガソリンが出回ったり、ウィスキーで走る車があったりする(一時クライスラーが宣伝していた)ので、この車もディーゼルまたはガソリンで走るのだろうと思い、今までとても静かに走っていたので、この滑らかな走りはガソリンに決まっている、というような気がして迷うことなくガソリンを入れた。勿論この辺は熟考したり論理的思考などをした訳ではなく、むしろ、「乗用車のレンタカーにディーセルなどある筈がない」という先入観から、それ以上考えようともしなかった、という方が近い。

さて、50数ユーロを払って満タンにし、再び高速道路へ戻って走り出したが、1015分ほどするとエンジンがノッキングを始め、アクセルにも充分に反応しない感じになった。いったん路肩に停めて空ぶかしをしてみたが、走れそうなので、再び車線に入った。しかし、ノッキングは続き、この頃には私も先ほどの給油のせいであろう、ディーゼル−ガソリンのせいであろうと思わずにはいられなくなっていた。間もなくエンジンが停止し、一斉に計器盤の警告ランプが点灯し、エンジンの形をしたアイコンが点滅した。やっぱり、という感じでギアをニュートラルに入れ、車を路肩に入れて停車した。

それから、エンジンを始動しようとしてみても、車はガタガタ振動するのみで、全くエンジンはかからず、始動を諦めた。さあ、誰かに助けてもらうしかない。レンタカー契約に緊急の連絡先は載っているが、携帯は持っておらず、周りを見渡しても日本の高速道路のように「非常用電話は○○メートル先」などという看板がある訳でもない。一番近いのは先程給油したガソリンスタンドだろうが、それでも3kmや5kmはもう走ってきただろう。そこに歩いて戻るには遠すぎる、と家内と話している間に、雨も降り出し、家内は「だからレンタカーをするのはもともと反対だったのだ」などと言い出し、こちらは絶句。まあ、ほかに手がないので二人で車の横に立ち、130km/hで横を走りすぎる車に向かって、助けを求めるため懸命に両手を振った。すると、困ったようにチラリとこちらを見て走り過ぎる人、肩をすくめる人、全く無視する人、と様々だが、勘違いしたか、からかっている連中は向こうも嬉しそうに盛大に手を振り返して行くなどして、呆れさせた。

15分ほどしたころであろうか、漸く1台の車が先で停まって、路肩をバックしてきた。地獄に仏である。しかも運転手は流暢な英語を話し、こちらの説明に、「では私がレンタカー会社に電話してやる」という。雨が土砂降りとなって、相手の車は後部座席が荷物で一杯なので、壊れたプジョーに彼とその連れの女性と4人で移り、そこからハーツの「Emergency Call」へ電話してくれた。今は世界中どこでもそうだが、この手の電話は、まずテープが答え、その指示に従って次々にボタンを押していくのである。そして最後はいつも「ではそのまま待て」と言ったきり、あとは延々と音楽を聞かされるか、よくて時々「もう少し待て」というテープを聞かされながら、10分、15分とどんどん過ぎていくのである。この場合も全くそれで、彼も次第にいらいらしている様子が伝わってくる。「Emergency Call」が聞いて呆れる。漸く出た相手に早口でフランス語で説明すると、「それはまず警察に電話しろ」といわれたとのこと。また彼が電話してくれたが、さすがに警察は「ちょっと待て」ということはなく、スムースに会話を終えた。彼によれば、警察が言うには「こちらから道路局へ連絡し、そこからの連絡でレッカー車が行くからそれに引っ張ってもらって修理工場へ行け。そこからレンタカー会社へ連絡して今後のことを話ししろ」とのこと。深く感謝して待つこととした。救いの神はクリストフと名乗るフランス人の男で、連れの女性はアメリカ人、今は二人ともシンガポールに住んでいる、とのことであった。

2人が去って間もなく、まず道路局のパトロールカーが現れ、制服姿の男2人女1人が降り立った。中の男1人は片言英語を話し、「私ももっと英語を話せたらよかったのに」とお愛想まで言った。彼らは遠方からずっとコーンを並べ、間もなく現れたレッカー車の運転手と話しをして去って行った。レッカー車の運転手が色々話しかけてくるが、フランス語だけなので分からない。エンジンを掛けて試してみたががたがた揺れるだけ。だがそのあとの質問で「Fuel」と「オージュードゥイ」という言葉だけが聞き取れ、「今日燃料を入れただろう?そのせいだ」と言っているらしいことが分かった。まあ、ディーゼルとは知らなかったで押し通すほかはない、と決心し、プジョーがトラックに積み込まれるのを見守った。正しくはレッカー車ではなく、トラックから斜路を降ろし、プジョーの前輪車軸にチェーンのフックを引っ掛け、ウィンチで巻き上げて斜路に乗せ、斜路を水平にして運ぶものであった。トラックの座席は後ろに客用座席もあり、われわれはそこに乗り込んで修理工場へ向かった。

車と一緒に借りていた携帯用カーナビはケースに入れて車から出した。このカーナビはゴム吸盤で前面窓ガラスに貼り付けるもので、車が大きく揺れるとはがれて転げ落ちたことが数度あったが、それ以外は日本語まで話す優れもので、表示はすべてフランス語なものの、「あと1.3マイルでロータリーがあるからその3番目の出口を出ます」だの、右へ曲がれ、左へ曲がれ、その他日本語でなくては分からなかったであろう。日本でハーツのレンタカーを予約する際、Drop-offするならカーナビは不可、といわれ、一時カーナビなしで行くか、と思ったが、借りて本当に良かった。昔ドイツ、ベルギーやスコットランドをカーナビなしで走ったことなど、よく出来たと思う。

さて、高速道路からは通常のランプではなく、メンテ用道路から、チェーンを開けて出て、あとは田舎道をずうっと走っていく。道は狭く、途中にスピードを落とさせるためか安全を守るためか道路に半島のように突き出した植栽帯(柱まで立っている)が時々あり、これを蛇行してよけながら、車幅と大して変わらない道路を、すいすいと走っていく。やがて、こんな田舎に、と思えるところに現れた修理工場、「Garage Bernard Poulain」なる修理工場であった。ここでプジョーを下ろし、奥さんがHertzに電話をしてくれたが、例によってずっと待たされいらいらしている。漸く繋がってしゃべった後、私に電話を替われという。出てみると英語で話せたが、これからトゥールへ行く予定だった、と言うと「ではそこの修理工場へタクシーを迎えに行かせ、お前をトゥールまで送る。現在はトゥール界隈にお前の借りていたようなコンパクトのオートマチック車はない。明朝もう一度この番号に電話しろ。そこで車があればそれを使え。車がなければ、またお前の行きたい次の町までタクシーで送る。」とのことであった。ガレージのMr.Poulainは、インターネットは使い慣れているらしく、やがて我々をパソコンのモニターの前へ連れて行き、パソコンにフランス語で打ち込んで英訳させ、それを我々に見せるということもした。文明の利器である。

Hertzの言葉を了解して暫く待つうち、巨大なベンツのタクシーが現れ、流暢な英語を話す陽気な運転手に乗せられてトゥールへ向かった。ドイツと日本の車は良いがフランスの車は全然だめだ、などと話す。高速には乗らず、田舎道を100km以上でぶっ飛ばす。しかし時間は高速経由より早かったかもしれない。高速はとにかく大きく迂回するもの、とこれまでの運転で知っていた。ホテルを決めていない、街中のエコノミーホテルが良いというと、どこかへ電話して親しげに話した後、「今は丁度学生の受験期でホテルはどこも込んでいる。心当たりがあるのでそこへ行ってみよう」という。そうしてトゥールは大学町で(確かに日本のガイドブックにもそう書いてある)日本の甲南学院(高校らしい)もある、という。日本人はなじみ深いのだと語った。

さて、トゥールの中心部、旧市街の中に入り、見るからにシャビーなホテルの前に停車すると、ちょっと待てといって運転手は入って行き、すぐ戻って、2人部屋はひとつだけ空いている、40ユーロだがどうか、という。あまりに安いので驚きながらも、それでいいと言うと、「決める前に部屋を見たいか?」という。いや、良い、といってチェックインすると、ロビーはなく、玄関に小さなカウンターがひとつあるだけで、そこにおじいさんが立っている。英語はからきしだめで、手元の紙に客室の平面図を描き、値段の数字を入れる。それによるとダブルで40ユーロ、ダブルプラスシングルベッドで46ユーロとのことであった。広い方がよさそうなので46にした。で、「部屋は3階−日米で言う4階−だがリフトはないので歩いて上れ、なあにyou need strong hand」と最後は英語で言って、腕を叩いて見せた。ひいひい言いながら上っていったが、途中の3階でちらと廊下部分を覗くと、ドアに大きく「WC」の文字。なに!部屋にトイレは付いていないのか、それでこんなに安いのか!と上るのを止めそうになったが、まあ、一番高い部屋ならあるかも・・と期待して4階にたどり着く。相変わらずWC表示のドアはあったが、自室の鍵を開けて入ってみると、奥に立派なバスルームがある。ビデまであるので、良かった、と思ったがなぜかやはりトイレはない。二人で愕然として、これはホテルを変えよう、でもどこに、決める前に見るかと言うのはこのことだったのか、などといいながら、仕方なく廊下へ出て、共用トイレを使い、親切そうなおじいさんだったし、チェックイン時その奥さんは流暢な英語でお薦めレストランの質問に丁寧に答えてくれたしなあ、などといっているとき、家内が私が試して開かずのドアと思ったのがトイレではないか、と言い出し、試すと確かにトイレだった。ヨーロッパの古いホテルでは、物置や改修前の部屋をロックしたままにしている場合が良くあり、私が開けようとしたこのドアもきつくて開かなかったので、ロックされっぱなしと思い込んだのであった。

擦り切れた絨毯、剥がれ落ちつつある壁紙、床まで沈むようなベッド、カーテンもガラス囲いもない剥き出しのバスタブ(水を撥ね散らかさずシャワーを浴びるのは至難の業)などではあったが、広めの部屋で、めでたくトイレもあったので泊まる事とした。ホテルお薦めのレストランで食事した。確かに美味しかった。

翌朝、英語堪能な夫人に助けてもらって、Hertzへ電話をした。英語を話す担当に替わって貰ったが、また例によって、ずっと待たされ、20分を過ぎても、全く反応がないので、電話を切り、またご主人からHertzの営業所の場所を教えてもらって、歩いてそちらへ向かった。

駅の向こうにある営業所へ着いて事情を話すと、「今朝、コンパクトのオートマチックがないか尋ねる電話があった。あれはお前のことだな」と話が早く、「今帰ってきたばかりの車がある。燃料も満タンではないし、掃除もしていないが、それでよければどうだ」という。えり好みしている場合ではないので、喜んで小さくて汚い(フロントグリルもなかった)ルノークリオを借りた。これも走り出して間もなく警告ランプがついた。フランス語なので分からない。ホテルへ戻って荷物を積み込み、手伝ってくれた主人に警告表示を見せると、Hertzへ行った方がよい、という。ホテルを放ったらかしにして、大きな街路まで出てきて道を教えてくれた主人に感謝しながら、Hertzへまた戻って警告ランプがついているというと、車の中を覗き込んで、「これはオイル交換をした際、警告ランプを消す操作をしていないだけだ」、という。あっそう、多少のことはいいや、とその車で、ロワール(シャンボール城)−フォンテンブロー経由でパリへ向かった。

 

日本へ帰って辞書でガソリンタンクにあったDIESEL OU GASOILGASOILを辞書で引くと「軽油」とあった。くそ! レンタカー代は多額の修理費、トウイング、タクシー代を含め30数万円であった。


岡崎憲秀