備えあれども

備えあれば憂いなしという諺がありますが、立派な備えがあっても役に立たなかったというお話です。

 ロサンゼルスに駐在していた頃の話です。会社の先輩や同僚と飲みに行きました。たまには気取ってということで、その日はハリウッドのレストランを選びました。店によりけりですが、高級店やダウンタウンなどたて込んだ地域の店の駐車場は、valet parkingといって駐車場係りが入口で車を受け取って駐車場まで運転していき停めておいてくれるものです。渡す時にキーと引き換えに番号札を受け取っておき、帰りはまたこの番号札を渡すと、車をレストランの前までもってきてくれるという仕掛けです。空調の効いた車から寒い思いをせずに店内に入れて、帰りも既に空調の入った車に表玄関からそのまま移れるのでホテルや高級レストランは高級感の出るこの形式のパーキングが普通です。店側も詰めてパーキングできるので同じ面積にたくさん停められるので好都合です。要は、自分で車を駐車場に止めレストランの入り口まで歩いて入るような店に普段は行っているのに、この日は少し高級店に入ったということです。

 楽しく食事して飲んで気持ち良くなったところで、二次会にもう一軒と調子にのってしまいました。このvalet parkingと2軒目というのが不幸の始まりでした。とにかくコーヒーを飲んでお休みなさいといって他の方と別れました。この日どんな配車になっていたのか思いだせないのですが、私は一人で一次会のお店まで車を取りに戻ったわけです。すると、なんとお店が閉まっています。「うわ〜、俺の車は!」ということで探し回り、近くにそれらしい駐車場を探すと自分の車が見つかりました。しかし、問題は鍵がない。駐車場係りがいないのだからキーもないわけです。寒さに震えながら、うろうろしていたら、通りがかりのアメリカ人、男2人に女1人のグループが声をかけてきました。よほど情けない顔をしていたのかもしれないし、彼らがすごく親切だったのかもしれない。事情を話すと、詰所らしいところを探してくれたり、鍵は車の下に置いてあるのじゃないかと一緒に調べてくれたりした。そしてとうとう鍵入れ箱らしいものを見つけたのですが、やはりあかない、遂に彼らも酔っていたのだと思うけれど蓋に手をかけバリバリとやってしまった。彼らには感謝するも、本当にびっくりした。しかし、なんとその中に鍵は一本もありませんでした。

そんなバリバリのすぐ後に、ふとポケットのゴツゴツに手が触れました。「何かな」という思いの中で、それがスペアキーであったことを急に思い出しました。当時、私はロックアウトした時に備えて車のキーを上着とズボンと別のポケットに一本ずつ入れていたのです。なんどもロックアウトを経験した後の備えでした。まったくのembarrassment、「この人たちに何て言い訳しよう」と目の前真っ暗でした。「私は普段からスペアキーを持っていて」、「それを忘れていて」などと言い訳をしているうちに、あきれた彼らは怒りもせずに行ってしまいました。私のためにほぼ犯罪に近いことを犯してくれた彼らに感謝の言葉を伝える間もなくでした。車をスタートし暖房が効いてくる中で恥ずかしさやら、かのアメリカ人に対する感謝やら、キーボックスの器物破損やらのことが頭をめぐっていましたがとにかく帰宅しました。

 キーがもう一本あるということを何故思いだせなかったか?これがロックアウトであれば即座に思いだしたでしょう。しかし、私の頭は預けたキーをどうやって取り戻すかという風にしか動かなかったのです。スペアキーという備えがロックアウトというキーワードにしか結びつけられていなかったから起きた喜劇です。一歩間違えば、怒ったアメリカ人に殴られたり、警察につかまったりという悲喜劇にもなりかねないところでした。しかし、こんな風にしか頭が働かないって私だけでしょうか?「惰性を排し柔軟な分析をしてこそ、良いソリューションを提供できる」などという言葉は、正にこの場面のためにあるようなものです。何を世迷言を、お前の頭が悪いだけだと言われそうではありますが。

2011年1月  金井章男
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