わが友人諸氏に告ぐ

 

 お知らせが遅れましたが、小生は2月7日より脳梗塞のため4週間入院し、1週間の自宅リハビリを経て3月14日より通勤を始めました。頭痛が残り、平衡感覚に問題があるので土気の駅までは妻に送ってもらい、品川駅では会社の人間に面倒をかけています。諸氏には「病気したよ」と電話して千葉くんだりまで来てもらうのもなぁと思っているうちに退院になり、飲めないのでは快気祝いもできんなと考えているうちに今になってしまいました。

 

 そもそも発病はどうも25()に始まっていたように思います。この日は小生が属するテニスクラブの部内対抗試合の日でした。第一試合、決めていればポイントという場面をミスり続けて負けてしまいました。第二試合は力の差がはっきりした負け試合ですが、なんとか自分のサービスゲームくらいとろうと力が入りました。この時に、首から肩にかけての痛みを感じ出したのですが、それが第二試合、第三試合と続けるうちに頭痛を伴うようなったのです。前に肩を痛めたことがあり、肩から首、頭痛と連鎖していったので、またむきになってサービスを打ったせいで肩をやっちまったかなくらいに思っていました。少々痛いが、すぐに整形外科やマッサージに行くほどでもないなと思いながら、バッファリンをもらって飲んでいました。負け試合が続けば頭も痛くなろうってもんだくらいのものです。通常こういったイベントの後は飲みにいくコースが用意されていて、この日も御多分にもれずだったのですが、さすがに未練を残しながら帰宅したのでした。

 

 さて、26日、朝から頭痛は続いていましたがバッファリンを飲んで、10時からのテニスにでかけました。「風邪をひいたくらいの頭痛は、走って酸素をたっぷり送り込めば治ってしまう」を信条みたいにして行動していましたので、そう無茶をやっている気はしませんでした。この日は練習会の日で、いつもよりきつい球出しなどが行われますが、頭痛をこらえながらこなして試合の時間に入りました。ゲームカウント2−1で軽いめまいを感じて考えました。「続けるか? しかし、ダブルスだしパートナーに迷惑かけるしなぁ」と体をとめたわけですが、気持ちはまだ半分続行でした。他のクラブ員が集まってきてしまったので、弱冠めまいがしたので休むというと、そりゃ危ないというものが現れ、救急車で病院に行ってみてもらった方がいいという意見も出ました。そんな大げさなと思いつつも、心配してくれて念のためだという善意の声に多勢に無勢みたいな感じでベンチに座りました。毛布をかけてくれたり、救急車を呼び出したり、女房を呼び出したり、クラブ員の皆がテニスもせずに右往左往しているのを申し訳なく思い、あのまま続けておいたら良かった。きっとばつの悪い思いをしそうだなどと考えていました。救急車は8件も開いている病院を探して30分ほどもしてから走りだしました。担ぎ込まれたのは千葉市若葉区の三輪台病院、CTスキャンを取ったが何も出なかった。めまいがして頭痛というが、CTスキャンにでず、本人が肩から首、頭痛と連鎖した症状くらいに思っていたのでは、緊急診療の医師が「整形の専門医もいませんし月曜にまたおいでください」と言うのもやむをえなかったのかもしれません。

 

 そこで家に帰ることにしましたが、車に乗ってしばらくしたら吐き気を感じ始めました。病院から家まで車で40分くらいあり、けっこう我慢するのもきついのですが、結局のところ我慢しきって帰り着きました。この頃は未だ自分で歩いてトイレにもいけたわけで、「その内、治るさ」と思っていました。時間が経つにつれ、吐き気とめまいが増して本当に吐き始めてしまいました。それでも、一応CTスキャンをクリアしたことだし、医者にも診てもらったことだしという安心感もあり、朝を待つことにしました。なん度か吐いて、寝たのか気を失ったのか分からないうちに漸く朝が来て、病院に行こうかと思ったのですが、もう立てません。ぐらついてしまうため這うこともできず、日本でBSE牛がまた見つかった映像を思い出しました。再び救急車を呼びましたが、昨日の病院は満員ということで千葉中央メディカル病院に担ぎ込まれました。昨日は、担架、ストレッチャー、ベッドの間を自分で動けていたのがまったくだめで、まさしく担ぎ込まれたという状態になってしまいました。

 

 この時点で、頭痛の始まった土曜の昼ごろから48時間たっているわけですが、またCTスキャンからやりなおしです。しかも、MRIは空いていないので明日だという医師の声を虚ろに聞きながら、「MRIがいっぱいだから翌日回しってどういうことだ!こっちは死にそうなんだぞ」とか怒っていました。結局、CTでは何も出ず、この吐き気と頭痛と眩暈は食中毒かBSEか・・・・・・・・・・・この金、土、日と何食べたか・・・・・・・・・・・誰と飯を食ったか・・・・・・・・・・・・・・他に腹を壊しておかしくなっていないか調べようか・・・・・・・・・・・等々どうどう巡りの問答を眠れるまで繰り返す事になりました。翌日、昼過ぎにMRIの結果が出て延髄の脳梗塞との診断が出されました。これで漸く脳梗塞に対応した治療が始まったのですが、発病から72時間が経過してしまっていました。小さな梗塞ですから後遺症はあまり残らず回復できるでしょうと言われ、手や足は動かせる、口は動いて伝達出来ているようだと何度も自分で認識しなおしました。一番きついのは、眩暈があるのと、眼振で視野がぶれていることでした。会社やアポのキャンセルのため電話をするにも手帳の文字が見づらいし、天井のスプリンクラーが動いている。丸2日以上の間、尿瓶のお世話になる状況でした。結局のところ、418日現在で10週間が過ぎ、まだ眩暈が消えません。とにかく仕事に行けているし、リハビリの医師やこの病気を経験された方々には、その程度で済んでラッキーですよといわれました。

 

しかしながら、こんなことになってしまったのはどうしてなのか? もっと早く病気に対応した治療を受けるチャンスがあったのではないか? つらつら考えてみれば私個人の認識不足と医療社会制度の問題点が浮かび上がってきます。似たような年齢のわが友人諸氏にも参考になると思いますので列挙します。

1.        私は、ここしばらく健康診断がまったく問題なしであり、CTスキャンでなにもでなかったのだから大丈夫だ。肩・首といった整形的問題だと自己診断していたことが大きく影響しているように思います。

2.        ところが、脳梗塞の小さなものや発症から24時間以内の場合はCTスキャンでは画像に出ない事が多く、MRIでしか発見できない。脳出血はよく画像に出るのでCTで梗塞か出血かを区別しMRI で診断を確定する。これは入院後に本で調べたところではあたりまえのようです。普段からしっかりした知識・情報を仕入れておくことが重要です。

3.        吐き気、頭痛、眩暈の三拍子がそろったら、脳梗塞の可能性がかなり高い。仮に、CTスキャンになにもひっかからなかったとしてもMRIによる検査が必要だということ。

4.        脳出血か脳梗塞かによって治療方法が違う。前者は出血を止めなくてはいけないし、後者は血をかたまりにくくする必要がある。したがってどちらであるか判定がつかなければ治療が始まらない。

5.        一方で、MRIは高価な機械で予約が埋まっている。前述のように私の場合、翌日回しでした。(緊急とみなされないとMRIをすぐに割り込むのは難しいようです。)その後慶応病院で再診してもらったのですが、予約を入れても一月以上先になる状態でした。

6.        医者にうまく自分の症状や痛みを伝えるかが重要。私のように自分の健康を過信し、勝手に肩の痛みからきたものだなどと思っていると、希望も含めて医者をその方向に誘導してしまう気がする。また症状の強さ・ひどさをどこまでアピールするかもポイントになる。ただギャーギャー騒ぐ患者は相手にされないが、我慢していても後回しにされる可能性がある。

7.        週末に開いている病院は、かなり少なく不十分なようです。救急車がなかなか発車できなかったそのためです。おまけにでてきている医者もすくなかったり、専門医がいなかったりで大変です。週末の病気は避けましょう(できるものなら)。

 

とにかく、歳も考えて気をつけて楽しく遊びましょう。
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金井章男