父親が死亡してわかったことの幾つか

 

<父親が死亡して分かったことの1>

市町村県民税は死亡していても払わなくてはいけないそうだ。1月1日現在在住していたことになる高崎市に24年分の所得に対するものを払うのだそうだ。今払っているものは23年所得に対応するもので、24年所得に対応するものは256月に決まり通知されますからそれを支払えということでした。前年所得を基準にして課税するのは知っていた。就職して初めの年は課税されませんし、海外勤務時には12月中に国外に出ると翌年からの地方税がかからないからお得なんて話をしたことはあります。退職時すると高かった前年ベースの基準による課税のおかげでたいへんだというのも聞いたことがあります。しかし死亡時の扱いは想像していなかったなあ。しかも12月31日までに死んでいると24年分の課税はないのだそうです。父親は130日に死亡しているので、役所の人と「残念でしたね」などと会話しました。子供のためには年をまたがないように死んでやった方が良いことになる。年をとっても考えにゃいかんことが結構あるようです。ームの始まり

一方で生涯所得に課税という原則だったら、24年中に死んだ人にも課税したらいい。25年1月1日に存命でなければ24年所得に課税していないというのも、財政健全化の観点からいえば勿体ない話だ。正当に課税する権利があるわけだし、システム化ができていれば難しくもなんともない。2511日の在住地で課税することになっているから、2511日現在生きていない人の24年中所得には課税できないというのは杓子定規すぎるだろう。死亡届を出した市町村で課税すれば良い。勿論こうすると私の父親の死亡日は130日なので、現在は課税されないことになる2511日〜25130日の所得に課税されることになる。税金をよけいにとられること自体は楽しいことではありませんが、公平だということにはなります。ただ、別のところで述べたように(市町村・県民税もなんとかしてくれ http://space.geocities.jp/ykanai_world/jyuki-ss/local-tax.htm)地方税を前年度基準で課税していることによるムダ・ムリ・ムラは大きい。むしろ国税にあわせて同年度の所得に課税することに変えてしまうほうが合理的ではないだろうか。

<父親が死亡して分かったことの2>

父親が死亡して葬儀後、各種届けをしに行った。死亡届は葬儀社が届けに行ってくれて火葬の許可証も出てはいたが、諸々の手続きが残っていたものを届けに行ったわけである。しかし、一人の人間が死んだらどれだけの手続きが必要か把握できていないから、本にこんなことが一般的には必要と書かれているリストに従って窓口を回っていくしかない。別の窓口にいったら行列にもう一度並び直しになってしまうから時間がかかってしかたがない。随分時間をかけたのですがやはり漏れがでて、数週間もたって「身障者手帳の返還と残りの見舞金の受け取りのための手続きをとりなさい」という書類が送られてきた。父親は人口肛門を着けるようになってその見舞金を市より受けていた。その手続き書類がなんと以下の3つ

身体障碍者手帳変換届

資格喪失届

未支給分請求書兼口座振込申込書

これに身体障害者手帳同封して返せというのだが、この3つに住所・氏名・捺印をそれぞれに繰り返さなければいけない。資格を喪失したから手帳を返還するのではないか?死亡してしまったから未支給分を振り込む遺族の口座を知らせよという書類である。一枚あれば済みそうな内容が担当ごとのセクショナリズムで3枚になっているというところだろうか。どうして同じ基本情報を3回も書かなくてはいけないのか? 3枚の書類ということは3回別々に処理しているということなのか? 問題はこの書類だけのことではない。市役所に行って死亡後の手続きの話をした時に、どうしてこれだけの手続きが必要という話をしてもらえないのかと思う。たとえ様々な手続きとシステムが部署ごとに分断されているにしても、死亡届が出された時点で関係しそうな部署に死亡者の情報を回覧・収集してこれだけ必要というものを渡してくれたらいいのにと思う。死亡届を出した時点で、同報のメールで情報共有してもらう。死亡届を受け取る部署が、特定個人の情報に基づいた必要手続きをパックにして手渡しか郵送でもしてくれたらと思う。システムの作り直しなど待っていないで人手でやれることをまずやってほしい。それをやっていないからシステムも進歩しないのである。役所にとっても手間が省けるはずだ、どうせ追ってこんな風に書類がくるのだから!

<父親が死亡して分かったことの3>

死亡した父親の生まれてからの全ての戸籍が必要だったり、届けをする私の戸籍謄本が必要であったりする。ところが、父親は本籍を前橋から高崎に移しているので2か所で全本籍を出してもらわねばならない。私も結婚した時に元々父親の戸籍があった前橋市で新戸籍としたので、前橋・高崎の2か所を巡って高崎で届けをすませることができる。2か所で済むだけまだましな方かもしれない。しかしながら、前橋だろうが高崎だろうが同じ日本人をやっているわけで、どうして一か所で全ての必要情報が整わないのか不思議な話である。私も現在千葉に住み、住民票は千葉市にある。もう千葉から住まいを移すこともなさそうだから、いい加減で戸籍を千葉に移そうかと思ったりしたが、私が死んだときには遺族が前橋と千葉で戸籍を取らなければならなくなる。まったく冴えない話である。だいたい住民票と戸籍とは一体で設計されるべきものであるし、別のところで書いたように今でも全く連携してないわけでもないのである。(http://space.geocities.jp/ykanai_world/jyuki-ss/koseki-jyuuminhyou-renkei.html) 完全に連携させてデータベースとして一つにしてどこからでも利用できるようにするというのは当たり前に考えつくことである。この話になると大して便利にならないとか、背番号化されて管理されきってしまうのが嫌だとかプライバシーが侵害されるとかおっしゃる方々がでてくる。私は国民一人が特定の場面で少しくらい便利になることよりも、現在の政府の仕事が効率化できるはずの便益でそのコストを上回ることができると思っている。小さな政府を実現するにはシステム化による効率アップが極めてじゅうようである。また、IDをつけることに反対する方々は全く勘違いしているか、何かを誤魔化そうとしている確信犯である。IDはユニークにした名前にすぎない。これは名乗るべき名前に過ぎないのだから、これを知っていることは本人確認の情報とは違い本人の証明にはならないのである。むしろ申告する情報であり、知らしむべき情報なのである。私は、日本中に金井章男という名前の人間が50人いるとしたら、私だけの名前をほしいなと思う。所詮、現在の戸籍や住民票のシステムは狭い地域に縛られて生きていた時代の制度である。人の動きが速まり、転職・離婚・再婚が当たり前になった社会では日本というベースで制度が作り直されなければならない。もっと言えば、このグローバル時代である。ビジネスも婚姻もグローバルになり移民もあたりまえの社会になりつつある。むしろ日本は世界戸籍のようなものを提案していく役割を担わなければいけないのだろう。お役人さんもガンダムでも見て地球連邦政府とかスペースコロニー・ジオン公国とか想像をたくましくしなくてはいけない。ームの終わり

(2013年3月24日)
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